西暦(年号)

日付

出来事

育てる会の動き

1982(S57)

全国初となる、民間団体発起の永年禁漁区の設定は各方面の人たちの注目を集めた。

「釣りをしない人たち」いわゆる自然保護運動に関心をもつ人たちの参加が目だつようになる。

発足当時からの「釣り人」主体の会員構成に変化が現れる。

1983(S58)

密漁者減少。しかし悪質になる。

北之又川で大イワナの産卵遡上に加えて、サクラマス化した大型ヤマメの産卵遡上が見られるようになる。

高速道路、新幹線により釣師増加
ふただび乱獲の気配が

湖の魚のエサとなるよう、ワカサギの発眼卵を放流

放流に端を発したサクラマスの生命の輪が、北之又川で回り始めた。

(注)古くは海よりサクラマス遡上は見られた。その様子は当時の写真や漁具から見てとれる。
 阿賀野川中下流のダム建設によって海からの遡上は途絶え、現在も海からの遡上はない

1985(S60)

3月15日

初代監視員 富永信次さん死去

1986(S61)

魚沼漁協に対して「匹数制限」「体長制限」制定を申し込むが、回答はなし

禁漁区の監視員が不在となる。

村杉さん、伝之助さんが監視を行うようになる。

1987(S62)

関東地方水不足

尾瀬分水計画推進論の再燃

信濃川分水(関東送水)計画の表面化

1988(S63)

新潟県長岡市の信濃川で妙見堰建設事業が始動

関係役所は信濃川分水計画自体存在しないと関連を否定

1989(H元)

信濃川分水計画で信濃川より関東へ送水するための中継ダム候補地に、北之又川が

選定理由は、「人工物がほとんど無く、水没問題が発生しない」

長年守ってきた豊かな自然が、ダム建設の最適地と見られていた。

12月9日

開高 健会長 死去

1990(H2)

9月

総会にて、開高 健会長の記念碑建設が決定

また、故開高 健を永久会長とし、代表を常見 忠として会を運営することが承認された。

1991(H3)

銀山湖でブラウントラウトが釣り上げられる。

(注)ブラウントラウトは日本産イワナ属と交配可能。
 その交配雑種(F1)は雑種優位性で親より大型化し性格も荒くなる。生殖能力は持たないが産卵行動には参加し優位となる。
 結果としてブラウントラウトは、日本産イワナ属の孵化率、稚魚の生存率を下げることになってしまうので、ある意味ブラックバスより危険

民宿、釣り具販売店を中心に外来魚の移植、密放流反対を呼びかける。

5月

でんぱつ、佐梨川ダムの凍結を解除し、湯之谷揚水発電計画を表明。

佐梨川ダムを下池に、北之又川ダムを上池にする計画に、湯之谷村村長は受け入れの姿勢

7月28日

開高 健永久会長記念碑除幕
場所は、奇しくも北之又川ダム予定地の石抱橋上流右岸。開高さんが、北之又川の監視人となった。

記念碑は、湯之谷村教育委員長佐藤徹也さんが中心になって奔走し、完成に至った。

9月

湯之谷村村長が北之又川ダム断念を表明

10月

湯之谷村村長が上池の予定地を明神沢に変更し、計画の継続を表明

明神沢は、銀山、北之又川と山一つ挟んだ隣のため、懸念の声があがる。

1993(H5)

北之又川禁漁区の産卵遡上の知名度があがり、マスコミ取材が増加
これに便乗した撮影、観察目的の一般入場者が急増。さらに、これに便乗した密猟者も現れる。

銀山湖、近年にまれなほど魚が釣れず。

禁漁区への入場規制、匹数制限、体長制限の声が挙がるがまとまり切れず。

11月

でんぱつから地元住民に奥只見・大鳥発電所増設計画の説明がされる。

増設される取水口は、既在取水口より湖面に近いため、ワカサギやプランクトンが吸い出され、魚の生息に悪影響が有るのではないかと懸念の声があがる。

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1982~1993(変化の兆し~会長死去~ 新たな工事)